2008年3月17日月曜日

ヴァルター・ギーゼキング

ヴァルター・ギーゼキング(Walter Gieseking, 1895年11月5日 - 1956年10月26日)は、ドイツのピアニスト、アマチュアの蝶類研究者。世界で初めて「ピアノのために書かれた作品を全て演奏できる」という特技をトレードマークにした。

フランスはリヨンに生まれる。初等教育は「面倒くさい、私はもう読み書きが出来るのだから学校には行かない」と言って受けず、幼少時は家で百科事典と楽譜を読み漁る毎日だった。蝶の趣味はこの頃に覚える。

両親が心配してハノーファーの音楽学校を紹介し入学。そこで師のライマーを紹介され、ドビュッシーなどの現代音楽すら新刊を持ち込んでレッスンする姿勢に彼は大きな感銘を受けた。デビュー後は一日にリサイタルとレッスンが昼と夜に行われるほどの多忙な生活であり、ヨーロッパ中を忙しく往復した。

第二次世界大戦中はドイツにとどまったため、ナチ協力者との嫌疑をまぬかれることができなかった。このため、連合国側によって疑いが晴らされるまで、多くの演奏会がキャンセルされた。

しかし、戦時中の1945年1月23日、ギーゼキングは現存する最古のステレオ録音に挑戦している。曲はベートーベンのピアノ協奏曲第5番 変ホ長調Op.73「皇帝」である。EMIベートーヴェン全集のレコーディング中に倒れ、緊急で手術がなされたものの容態芳しくなくロンドンで客死。

自伝「かくて我はピアニストとなれリSo wurde ich Pianist 」は、1963年に出版されている。

ギーゼキングは本能的で直感的なピアニストであると言われ、自ら意識して練習したことはなかったとも言い伝えられている。譜面を検討し、その演奏をイメージしてから、曲を完璧に弾きこなすのが常であった。ひとたび楽譜に夢中になると、何時間も黙りこくって過ごす習慣があり、そのため夫人がむやみとストレスを溜め込んだとも伝えられる。

その一方で、既に語り尽くされたように初見力にも優れていたが、しかし実際は、演奏法ではなく練習法に長けていたという見方もある。彼は「私はスケールとアルペジオの練習のみで、全てのテクニックを習得しました」と皮肉まじりに語ったそうである。高弟クラウス・シルデは「バルトークのピアノ協奏曲第二番をレッスンに持っていったのに、ギーゼキングは第二ピアノを初日の時点で全部暗譜していた」と語っている。


レパートリーはバッハやベートーヴェンなど古典的なものから、よりモダンなブゾーニやシェーンベルクからゴッフレド・ペトラッシまでと、当時の最高水準の記憶力を携えていた。

1923年にはハンス・プフィッツナーのピアノ協奏曲の初演を行なった。しかし今日ギーゼキングは、もっぱらモーツァルトとドビュッシー、ラヴェルの伝説的な演奏家として記憶されている。(モーツァルトの全集はレコード会社から持ち込まれた企画であった)作曲者の存命中にラフマニノフの協奏曲の録音にいどんだ、最初のピアニストでもある。

カール・ライマー Karl Leimer との共著により、ギーゼキングは2冊のピアノ奏法論を上梓した。「ピアノ奏法完成への早道」(1932年)と、「ピアノ奏法の諸問題~リズム、強弱、ペダルなど」(1938年)である。

録音態度は意外なほどいい加減で、完璧に近いものからウォーミングアップ程度のものまで様々である。現代のピアニストでさえ敵わないダイナミックレンジの大きさは、基礎体力そのものの優位が関っているという説がある。

ギーゼキングは、死去から半世紀を迎えた今なお、伝説のピアニストとして語り継がれている。ギーゼキングのCDは同じ内容のディスクを何度も回を重ねて発売されているが(EMI)、これは貴重な文化財保存という側面を持っているといえる。ペダル操作が比類なく、完璧なまでの作品の記憶力と、細部にわたって楽譜の忠実な再現、楽曲構造に対する明快な洞察力などで、同時代のピアニストの中でも卓越した存在だった。


ドビュッシーやラヴェルのピアノ曲は、たいてい運指やペダルの指定がなく、これらは演奏者の判断に委ねられている。殊にドビュッシーでは、ともすれば曲の見通しが曖昧模糊となりがちである。

これに対して、ギーゼキングの演奏は曲の分析力が明晰で、当時のつたないアコースティック録音にもかかわらず、ニュアンスに富んだ繊細な音色と、多彩な表情の変化に満ちている。その上、演奏技巧に欠点がない。

つまり、曲の解釈において迷いが無い。たとえばドビュッシーの≪前奏曲 第1集≫の<パックの踊り>は、これほどの速さで押し切っているにもかかわらず、まったくテンポやフレージングが乱れない。


こうした特長のために、学習者の模範として使われてきただけでなく、後世のピアニストからは、ドビュッシーやラヴェル演奏の完成者として、到達目標として仰がれたのである。


それでも、彼の全盛期はSP時代だと伝えられる。LP時代に入ってからのベートーヴェン全集やバッハのWTCでは一発撮りにちかい不安定なテイクも少なくない。


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)



▼ギーゼキング演奏CD


ドビュッシー:ピアノ曲全集(2)ドビュッシー:ピアノ曲全集(2)
ギーゼキング(ワルター)
EMIミュージック・ジャパン
発売日 1997-02-19




名演奏!素晴らしい! 2007-07-30
ギーゼキングの当ディスク。この曲集の作曲家であるドビュッシーは、おそらくこの演奏にほぼ近いエッセンスを意図して作曲したのだろうなと自分勝手に納得できてしまう素晴らしい演奏。

儚げなニュアンス、細部への緻密なタッチ、微笑みを誘い、時には淋しさを滲ませたりする繊細な音楽。一方で曲想にあわせて躍動感やスピード感も失わない。目の前の作業に手を止めて聞き入ってしまう。

これを別のドビュッシー弾きピアニストである名匠ミシェルベロフで聞くと、ドビュッシーの音楽が外向的で、自己主張が強くて、自分は他人に何も劣るところはないんだけど何か?と囁かれているように響く。

これをギーゼキングで聞くとギーゼキングの演奏の素晴らしさに、作曲家がベロフに向かって「そんなに音を全部お尻までギンギンに美麗に響かせるという意図はなかったんですが」と注意されてもおかしくないな等と、勝手に妄想できてしまう。

録音の古さは理由はわからないが同じEMIのコルトーに比べても格段に気にならない。



ドビュッシー:映像、ピアノのために、版画、他ドビュッシー:映像、ピアノのために、版画、他
ギーゼキング(ワルター)
EMIミュージック・ジャパン
発売日 2008-02-20





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ドビュッシー:前奏曲集ドビュッシー:前奏曲集
ギーゼキング(ワルター)
EMIミュージック・ジャパン
発売日 2008-01-23





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ドビュッシー:ベルガマスク組曲、他ドビュッシー:ベルガマスク組曲、他
ギーゼキング(ワルター)
EMIミュージック・ジャパン
発売日 2008-01-23





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クラシック・アプレミディ プール・ジュルネクラシック・アプレミディ プール・ジュルネ
ギーゼキング(ワルター)
EMIミュージック・ジャパン
発売日 2006-06-21




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